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フェアファックス郡()は、アメリカ合衆国バージニア州の北東部に位置する郡である。2010年国勢調査での人口は1,081,726人であり、2000年の969,749人から11.5%増加した〔Quickfacts.census.gov - Fairfax County - accessed 2011-12-06.〕。バージニア州人口の13.6%に相当し、人口では州内最大である。郡庁所在地は独立市のフェアファックス市(人口22,565人〔Quickfacts.census.gov - Fairfax, Virginia - accessed 2011-12-06.〕)であるが、同郡とは別の政体である。 フェアファックス郡はワシントン大都市圏に属し、都市圏人口の19.8%を擁し、都市圏の中でも最大の政治区分である。またさらに大きなボルチモア・ワシントン広域都市圏に入り、この広域都市圏人口に対しても13.1%の人口である。 フェアファックス郡は世帯当たり年間収入の中央値が、国内で初めて10万米ドルを超えた郡となり、現在も隣接するラウドン郡に次いで国内第2位になっている。 郡内には中央情報局、アメリカ国家地球空間情報局、アメリカ国家偵察局、さらには国家テロ対策センター、アメリカ合衆国国家情報長官事務所など情報関連機関の本部がある。フォーチュン500に挙げられた企業では10社がある。ただしこのうち3社はフォールズチャーチ市の住所となっている〔Fortune 500 2012: States: Virginia 〕。 == 歴史 == フェアファックス郡となった地域にヨーロッパ人が入ってきたとき、アルゴンキン語族ポウハタン連邦のトーセネント族と呼ばれる小部族が住んでいた。ポトマック川の南岸、現在のフェアファックス郡にナマシンガケントと呼ぶ集落に住んでいた。 フェアファックス郡は1742年にプリンスウィリアム郡が分離して設立された。郡名は、ノーザンネックの領主だった第6代フェアファックス・オブ・キャメロン卿トマス・フェアファックス(1693年-1781年)に因んで名付けられた。 フェアファックス郡最古の開拓地はポトマック川沿いにあった。ジョージ・ワシントンはフェアファックス郡に入植し、この川に面する位置にマウントバーノンと呼ばれる家を建てた。ジョージ・メイソンの家であるガンストン・ホールも近くにある。現代のフォートベルボアの一部は、1741年にウィリアム・フェアファックスがポトマック川沿いに建てたベルボア・マナーの敷地にある。この植民地に住んだ唯一のイギリス貴族であるトマス・フェアファックス卿はベルボアに住み、その後シェナンドー・バレーに移転した。1783年にアメリカ独立戦争が終わった直後、ベルボアの邸宅とその外郭の建物数軒が火事のために失われた。ジョージ・ワシントンはこのプランテーションの建造物が次第に廃墟に変わっていると記した。 1757年、郡北西部3分の2がラウドン郡になった。1789年、郡の一部が連邦政府に譲渡され、コロンビア特別区のアレクサンドリア郡となった。このアレクサンドリア郡は1846年にバージニア州に返還され、1870年にはアレクサンドリア独立市ができて面積を減らし、1920年にはアーリントン郡と改名された。フェアファックス郡のフォールズチャーチの町は1948年に独立市となった〔About Falls Church Retrieved 10/6/2009〕。フェアファックスの町も1961年に独立市になった。 フェアファックス郡はワシントンD.C.に近く、南北戦争では重要な地域になった。シャンティリーの戦い(またはオックスヒルの戦い)は第二次ブルランの戦いと同じ方面作戦の間に、郡内で戦われた。ブルランはフェアファックス郡とプリンスウィリアム郡との郡境を流れている。郡の東側境界にあって、ワシントンD.C.を見下ろすマイナーズヒル、マンソンズヒル、アプトンズヒルでも戦闘が起きた。 第二次世界大戦後に連邦政府が大きくなり、郡の急速な成長に拍車を掛けた。その結果、かつては田園部だった郡が次第に郊外部に変わっていった。大企業が郡内に立地し、タイソンズコーナー・センターが開かれて、タイソンズコーナーそのものが発展した。技術ブームと政府主導の着実な経済も、急速な成長をうめい、人口構成は次第に多様化していった。その経済でフェアファックス郡は国内最大級に裕福な郡になった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フェアファックス郡 (バージニア州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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